文芸のこみち…その①
文芸のこみちは、旧東北本線の跡地「遊歩道」に、1995年7月7日開園しました。青森市文化団体協議会が中心になって多くの方々の協力によってひらかれたこみちです。
青森県出身の著名人の碑が16基建てられています。
こみちは、青森市堤川河畔の東側(諏訪神社の南東)の450メートルほどの短い道です。こみちに平行して国道4号が走っていますが、緑のトンネルにまもられて、こみちは、やすらぎの回廊をわたしたちに与えてくれています。ぜひお訪ねください。
1郡場 寛 1882(明治15)~1957(昭和32)
出生地 青森市栄町
世界的植物学者:1907年東京帝国大学植物学科卒業。青森県文化財保護協会の初代会長。著書は「植物の生態」「植物生理、生態」など。
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大空に烟(けむり)と昇り雨と降り
又も草木や人に入るらむ
2松木満史(本名 金七) 1906(明治39)~1971(昭和46)
出生地 西津軽郡木造町(現つがる市)
洋画家 (国画会会員): 玉川学園の美術教師を勤め、フランスに留学。青森県の風物画「青森県の素描」をまとめる。
大工さんとは
名は良いけれど
しんの心はまがりがね
3大道寺繁禎 1844(弘化元)~1919(大正8)
出生地 弘前市
旧津軽藩最後の家老を務めた。第五十九国立銀行(現在の青森銀行)を設立して頭取に就任、角弘の前身である「弘前農具会社」も設立した。公選議員による第一回県議会で初代の議長に選ばれ、晩年は弘前市立図書館長を務めた。歌人としても知られ号は「楸園」。
花園に眠る胡蝶の我なれや
ゆめと計りに春をくらしつ
4太宰治(本名 修治) 1909(明治42)~1948(昭和23)
出生地 北津軽郡金木町(現五所川原市) 大地主の津島家に六男として生まれる。
作家:旧制弘前高卒業後、東京帝国大仏文科へ入学。井伏鱒二に師事する。「女生徒」は第四回北村透谷賞受賞。「ヴィヨンの妻」「グッド・バイ」「如是我聞」など 約百五十編の小説を残し、三鷹市の玉川上水に入水。「右大臣実朝」、「津軽」、「新釈諸国噺」、「浦島さん」「カチカチ山」ほか二編を収めた「お伽草紙」「人間失格」「斜陽」など。
三鷹市禅林寺で眠る。
さらば読者よ いのちあらばまた他日
元気で行こう 絶望するな
では 失敬 -「津軽」より
5浅田祗年(本名 理助) 1811(文化8)~1896(明治29)
出生地 青森市米町 商家の生まれ
俳人:不二亭祗山を師とする俳句宗匠。商略に富み。「甘精堂」という屋号で菓子を製造。明治8年歩兵第5連隊の御用商人となる。 合浦公園に句碑がある。 「義経の夏こもり所や外ヶ浜」
雪と寝て
花に起きたる
まくらかな
6福島常作 1915(大正2)~2006(平成18)
出生地 青森市
昭和45年県立郷土館開設準備に従事。50年(財)棟方志功記念館開設に従事、52年 同副館長を退職。38年潮汐短歌会に入会、鹿児島寿蔵に師事。歌集「八重田野」、版画集「青森県ところどころ」、随筆集「雲を追う」「たんぽぽ礼賛」、「回想集ふるさとの音」など。
堤川の 中州に在りたりし 諏訪明神
宵宮の灯の 耀ふが顕つ
7淡谷のり子(本名 のり) 1907(明治40)~1999(平成11)
出生地 青森市 呉服商の長女として生れる。
歌手: 1929年(昭和4)デビュー。「別れのブルース」、「雨のブルース」、「君忘れじのブルース」。1972年に紫綬褒章と佐藤尚武郷土大賞、1979年に勲四等宝冠章、1998年(平成10)に青森市名誉市民章。 著書に「わが放浪記」「いのち愛し」。
ひとすじの道 生きて来て
あかあかと いのちのはてに
燃ゆる夕やけ
8北畠八穂(本名 美代) 1903(明治36)~1982(昭和57)
出生地 青森市莨(たばこ)町
女流作家:津軽の風土を背景にした作品を数多く残した。「鬼を飼うゴロ」はサンケイ児童出版文化大賞、野間児童文芸賞。「日本百名山」で知られる深田久弥と結婚するが離婚。
夢を見ると
必ず青森の町なみを
歩いています 「津軽野の雪」より
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